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東京地方裁判所 昭和48年(むのイ)47号 決定 1973年1月22日

主文

本件忌避の申立はこれを却下する。

理由

一、本件忌避申立の趣旨および忌避原因は別紙(二)申立人からの「忌避申立書」および申立人伊藤まゆからの「忌避申立理由補充書」のとおりであるのでこれを引用する。

二、右申立の理由とするところは、つまるところ当裁判所裁判長のなした公判期日指定および右公判期日の変更請求に対する当裁判所の却下決定に対する不服、不満であると認められるが右公判期日は、数回にわたる事前打合せを通じて弁護人(申立人)らの意見を充分聴いたうえ指定されたものであり、また、弁護人(申立人)と被告人らからの公判期日変更請求は刑事訴訟規則一七九条の四、一項の要件を具備しないばかりか、当裁判所は、請求人の主張する公判期日の変更を必要とする理由を十分検討したうえ、いずれもやむをえない事由にあたらないと判断して却下決定したものであつて、何等違法違憲のそしりをうけるいわれはない。また、右各裁判は弁護権ないし防禦権を不当に侵害していないことは明白であり、かりにかかる不侵害の点が明白でないとしても、その場合には弁護人(申立人)らは、これら各裁判に対し刑事訴訟法上認められた不服申立の方法をとるべきであるのに、いたずらに違憲を云々して本件申立をなし、これら手続過程内における裁判において、自らの主張が容れなかつたことから推して右裁判の構成員に忌避事由ありと主張しているが、右主張の容れられるべきでないことは忌避制度の趣旨からみて明らかであり、かかる明らかに失当な主張を根拠として本件申立をしていることから推すと本件申立が当裁判所の刑事訴訟法および刑事訴訟規則一七九条の二、一項の精神に則つた迅速な裁判方針を崩そうという意図のみをもつてなされたことが明白であり、さらにまた第一回公判期日の直前に本件申立が行なわれたことから見ても本件申立は訴訟を遅延させる目的のみでなされたことが明らかである。

なお、追つて提出された弁護人(申立人)小口恭道の「忌避申立の理由等補充書」によると、さらに加えて、本件が当裁判所に係属するに至つた経緯、加藤倫教の事件の併合請求却下決定あるいは事前打合せにおける裁判長の発言をとらえて忌避原因たりうるとしているが、これらが忌避原因たりえないことは前記のとおりであつて、右事由を考慮してもなお本件申立が訴訟を遅延させる目的のみでなされたことは明らかである。

よつて刑事訴訟法二四条により主文のとおり定する。

(山本卓 清野寛甫 大谷剛彦)

別紙(一)

被告人

事件番号

被告事件

備考

1

坂東国男

昭和四七年

合わ第五五七号

森林法違反・爆発物取締罰則違反・銃砲刀剣類所持等取締法違反・火薬類取締法違反・住居侵入・殺人未遂・公務執行妨害・監禁・殺人

長野地方裁判所

昭和四七年わ第三六号

2

同右

昭和四七年

合わ第五六〇号

殺人・死体遺棄

長野地方裁判所

昭和四七年わ第七八号

3

同右

昭和四七年

刑わ第五七七二号

強盗

横浜地方裁判所

昭和四七年わ第八〇〇号

4

同右

昭和四七年

合わ第五八〇号

強盗致傷・窃盗

横浜地方裁判所

昭和四七年わ第九四二号

5~8 消除。

9

永田洋子

昭和四七年

合わ第五五一号

殺人未遂・公務執行妨害・銃砲刀剣類所持等取締法違反

前橋地方裁判所

昭和四七年わ第七一号

10

同右

昭和四七年

合わ第五五三号

爆発物取締罰則違反・火薬類取締法違反・銃砲刀剣類所持等取締法違反・森林法違反

前橋地方裁判所

昭和四七年わ第八七号

11

同右

昭和四七年

合わ第二四六号

殺人・死体遺棄

12

同右

昭和四七年

合わ第三五一号

窃盗・強盗傷人

13

同右

昭和四七年

合わ第五五五号

傷害致死・殺人・死体遺棄

前橋地方裁判所

昭和四七年わ第二三四号

14

坂口弘

昭和四七年

合わ第五五八号

森林法違反・爆発物取締罰則違反・銃砲刀剣類所持等取締法違反・火薬類取締法違反・住居侵入・殺人未遂・公務執行妨害・監禁・殺人

長野地方裁判所

昭和四七年わ第三七号

15

同右

昭和四七年

合わ第五六一号

傷害致死・殺人・死体遺棄

長野地方裁判所

昭和四七年わ第七七号

16

同右

昭和四七年

合わ第三〇九号

殺人・死体遺棄

17

同右

昭和四七年

合わ第三六三号

窃盗・強盗傷人

18

植垣康博

昭和四七年

刑わ第五六〇四号

森林法違反・公務執行妨害・傷害

長野地方裁判所

昭和四七年わ第二九号

19

同右

昭和四七年

合わ第五五九号

爆発物取締罰則違反・銃砲刀剣類所持等取締法違反・火薬類取締法違反

長野地方裁判所

昭和四七年わ第四二号

20

同右

昭和四七年

合わ第五六二号

殺人・死体遺棄

長野地方裁判所

昭和四七年わ第八〇号

21

同右

昭和四七年

刑わ第五七七一号

強盗

横浜地方裁判所

昭和四七年わ第七九九号

22

同右

昭和四七年

合わ第五八一号

強盗致傷・窃盗

横浜地方裁判所

昭和四七年わ第九四三号

23

吉野雅邦

昭和四七年

合わ第四九五号

森林法違反・爆発物取締罰則違反・銃砲刀剣類所持等取締法違反・火薬類取締法違反・住居侵入・殺人未遂・公務執行妨害・監禁・殺人

長野地方裁判所

昭和四七年わ第三八号

24

同右

昭和四七年

合わ第四九六号

傷害致死・殺人・死体遺棄

長野地方裁判所

昭和四七年わ第七九号

25

同右

昭和四七年

合わ第二四七号

殺人・死体遺棄

26

同右

昭和四七年

合わ第三五〇号

窃盗・強盗傷人

別紙(二) 忌避申立書

忌避の原因

第一、事実経過

(一) 本件被告事件は、いわゆる連合赤軍事件と総称される密接不可分の一連の事件である。

(二) しかるところ、右事件の性質にかんがみ、本件被告事件は、昭和四七年九月二二日、被告人森恒夫(後死亡)、同永田洋子、同坂口弘、同坂東国男、同植垣康博について、東京地方裁判所刑事第七部において併合審理されることになり、後被告人吉野雅邦に関し併合審理が追加決定されて現在に至つている。

(三) 右昭和四七年九月二二日以降、裁判長裁判官山本卓、裁判官清野寛甫、同大谷剛彦は、一貫して、本件の審理に当る裁判官として、前記刑事第七部の裁判所を構成する裁判官である。

(四) 本件被告事件の期日決定については、昭和四七年九月三〇日以来、準備手続において、検察官、弁護人、裁判所間で、数回の接渉がなされ、検察官は、週二回開廷を要求し、弁護人は月一回を主張し、その見解は対立を続けた。

(五) 右接渉において、裁判長裁判官山本卓は、まず第一回の公判期日を決定すべきことを強力に促がし、昭和四七年一一月一八日、弁護人もこれに応じ、第一回公判期日は、昭和四八年一月二四日(後同年一月二三日に変更)に決定され

た。その際、第二回以降の公判期日は、更に弁護人と協議の上、妥当な期日決定をなす旨の了解がなされた。

(六) 右昭和四七年一一月一八日の準備手続において、裁判長裁判官山本卓は、弁護人に対し、参考のためと称して、昭和四八年一月二四日以降昭和五〇年迄の差支え日を書面で一二月一日迄に申し出るよう指示し、それを記載すべき裁判所指定の用紙(別紙疎明資料一)を各弁護人に交付した。

(七) しかしながら弁護人は、昭和五〇年迄の具体的弁護士活動予定及び生活予定を、右時点において定め又は予見することは不可能であるので、昭和四七年一二月一日の準備手続において、右昭和五〇年迄の差支え日記入表の提出を拒絶した。この準備手続の際、二回目以降の公判期日の指定について、前記(四)記載の検察官と弁護人の間における主張の対立は解消しないままであつたところ、裁判長裁判官山本卓は、「それでは、二回目以降は、職権で決定し、それ以後のことは期日変更申立手続によつて行なう」旨告げた。

(八) しかるところ、昭和四八年一二月四日、裁判長裁判官山本卓は、第二回以降の公判期日を、隔週毎に火曜日、木曜日、火曜日の順序で第一〇〇回(昭和四九年六月二五日午前一〇時)まで決定し、これを送達した。

(九) 弁護人は、右決定に対し、かかる公判期日では、被告人弁護人とも、公判準備が不可能であり、かつ、弁護人にとつて、この指定は、他の受任事件の処理を不可能とさせ弁護人の生活保障が出来なくなることを理由として、右公判期日を取り消し変更すること及び公判期日を弁護人と再度協議の上決定すべきである旨を裁判所に対し申し立てた。(別紙疎明資料二)

(一〇) さらに、昭和四七年一二月二八日被告人吉野雅邦が、新たに本件共同被告人として併合審理されることとなつたこと、及び昭和四八年一月一日共同被告人森恒夫が死亡したことの故をもつて、被告人らにおいて被告人らにおいて公判準備の追加補足が必要となつたために、被告人永田洋子並びに被告人吉野雅邦から、第一回公判期日の変更(延期)及び第二回以降第一〇〇回迄の期日の取消(理由は公判準備が不可能のため)申立がなされ、弁護人からも右同趣旨の申立がなされた。

(一一) そして、右の各期日の変更及び取消申立に関し、弁護人と裁判所の間にいおいて、数度の接渉がなされた。

(一二) しかるところ、裁判長裁判官山本卓、裁判官清野寛甫、同大谷剛彦は、右期日変更及び取消し申し立てを全て却下することを決定し、右決定は、昭和四八年一月一八日弁護人に対し告知された。

第二、忌避の原因

右事実経過からして、右三名の裁判官について、次の事実が明白である。

(一) すなわち、裁判長裁判官山本卓は、憲法に保障された被告人の弁護権、防禦権を実質上はく奪することを平然と行なう裁判官である。何故なら、同裁判官は、(イ)月一回という適正な公判期日指定がなされない限り、本件の複雑性からして、被告人、弁護人とも、十分な公判準備が出来ないこと、(ロ)右適正な公判期日指定がなされない限り、弁護人は他の受任事件の執務が不可能となり、ために、生活の根拠を奪われ、本件において被告人らから信頼を受けて弁護を受任しているのに、その弁護活動が事実上不可能になること、(ハ)他の刑事事件においては、公判期日のの決定は、弁護人と十分協議してその同意の上でなされており、その慣行は本件においても当然遵守すべきであること、という点について、準備手続において、弁護人からるる説明を受けたのに、それを全く無視して、前記一〇〇回の期日指定を行なつたものである。

しかも、右不当な期日指定に対する被告人及び弁護人からの取消し及び変更申立を平然と全て却下した。

また、第一回公判期日間近における、被告人吉野雅邦の併合定並びに被告人森恒夫の死亡という事情による公判準備の追加補足の必要を理由とする第一回公判期日の変更(延期)申立に対しても、右事情を全く考慮せずして、右当然の申立を平然と却下した。

従つて、かかる諸決定を平然と行なう裁判官は、審理を急ぐあまり、被告人の弁護権、防禦権をはく奪しても何らその違憲性を認識しない裁判官であつて、公平な裁判官でないことは明白である。

よつて、裁判長裁判官山本卓は忌避されるべき原因がある。

(二) 裁判官清野寛甫、同大谷剛彦は、裁判長裁判官山本卓の右の如き違憲であることの明白な訴訟指揮について、常にこれに立ち合い、直接見聞しながら、それを阻止する何らの手段もとらずこれを放置し、昭和四八年一月中旬、被告人及び弁護人からの本件一〇〇回の公判期日の取消及び変更の申立に対する裁判所の決定に参与し、これを平然と却下することに加わつた。しかして、右両裁官判は、裁判長裁判官山本卓と同等に、審理を急ぐあまり、被告人の弁護権、防禦権をはく奪しても、何らその違憲性を認識しない裁判官であつて公平な裁判官でないことは明白である。よつて、裁判官清野寛甫、同大谷剛彦は忌避されるべき原因がある。

添付書類

疎明資料各一通       以上

忌避申立理由補充書

本件事件につき、東京地方裁判所刑事第七部の本件事件担当三裁判官は、特殊の変見をもち、すでに有罪の信証及び量刑についても審理をなすまでもなく、一定の結論をもち、本件事件に対する世間の非難を背景とし、如何に無謀なことをなしても世の非難をあびることはないとの確信のもとに形式的には裁判を行なうが、実質的には何等裁判としての意味をなす裁判をなさず、早期に、すでに裁判所が有している結論を出すべく、私選弁護人の弁護活動を全く不能ならしめるべく策動しており、不公平な裁判をするおそれは多大にあり忌避の申立をするものであるが、以下弁護人が右各裁判官につき、不公平な裁判をするおそれがあると判断した理由について述べる。

第一、本件事件につき、第一回目の検察官をまじえての打合わせの際、検察官とは、すでにすべて打合わせずみであり(少とも弁護人にはそのように受けとれた)当日何をやるかについても、検察官はすべて了解していたのであるが、弁護人に対しては真岡の事件に関して打合わせをしたいとのみ申述べ、弁護人を呼び出し、真岡の事件のみの打合わせと考えて裁判所に出向いた弁護人に対して本件に関するすべての併合を要求している被告人の事件を刑事件を刑事第七部でやるということ、及び審理については、週二回やりたい旨検察官と口をそろえて申し述べた。これに対して弁護人は本日の打合わせについての申出の趣旨が違うこと、検察官とはすでに打合わせ済であるようにみうけられること、併合の際には従来、事件番号の若い事件のある部ないし、重い罪の事件のある部に併合されるのが慣行であるにも拘らず、刑事第七部はこのうちどれにも該当しないこと、週二回等という期日ではとても審理に立会うことができないことを申し述べた。これに対して裁判所は、当部にある事件は真岡の事件だから、そのように云うしかない、併合については、当部が一番事件数が少いからで、そうゆうことはあり得る、週二回は是非やつてもらわなければ困る。との答であつた。これに対し弁護人は、表むきどうであつても、裁判所の打合せの意図が本日のようなものなら、出てくるに当つて弁護人にも準備の都合があるのだから、そのようにざつくばらんに云つてくれれば良いではないかとのことと、そのような期日ではとてもできないので強行された場合辞任せざるを得なくなる旨述べたところ裁判所は、検察官と口をそろえて、それじや国選弁護人を選任する外ありませんね。と答えた。裁判所は当初から、弁護人に絶対無理なことを強要し、辞任に追いやり、裁判所、検察庁にとつて都合の良い者を弁護人として、被告人に充分な裁判を受けさせず、やみからやみに被告人をほうむろうとしていたのである。

第二、その後の打合せの際にも期日のことについては問題となつたが、裁判所は、週二回と週一回の交互のペースを主張してゆずらなかつた。裁判所のいうこのような期日を主張する理由は、訴因が七〇もあつて弁護人の云うとおりならば、マスコミには三〇年以上かかるというのである。しかし、本件事件は裁判所においても、新聞等で知つておられるとおり、山のベースの事件は被害者はすでにいないのであるから共犯者しかない。いんば沼の事件もまたしかりである。浅間山荘事件もむたさん以外は警察官と共犯者であり、真岡事件も被害者と共犯者しかいない。共犯者は供述拒否権があり、特に公安事件の場合はこれを行使するものが多く、その際は一日に一〇人位済んでしまう。もし供述しても、すべての人が同じことをしやべる必要はないのであるから、それにかかる時間はしれている。したがつて、ふつうの公安事件と余り時間数等考えてもかわるとは考えられない。

したがつて弁護人はふつうの公安事件並の期日の指定を要求したのである。ところが裁判所はこれを聞きいれず、昭和五〇年までの予定表を出せといつてきた。弁護人は三ケ月先位迄のある程度の予定はたつが、昭和五〇年迄等という予定はたてようがないし、従来弁護人がどのような事件を持つているか、公開して期日を入れた例もなく、予定表を出せば、ただ空いているからとして、弁護人が受任している他事件に対する考慮もせずに、期日指定してくることも考えられるのでこれを拒否したところ、第一回以後九九回の期日を弁護人の都合も考えず週一回と週二回交互に入れてきた。弁護人はこのような期日指定では、すでに受任している三〇数件の民事事件、一〇数件の刑事責任を全くすることができなくなり、依頼者の経済的利益、被告人の人権は護れないばかりか、弁護人として営業し、生活してゆくことができなくなること、事実指定された期日のうち三月までは、一日しか空いている日のないことを、差支え理由をそえて、期日指定の取消を要求したが、昭和四八年一月一七日裁判所は、これをきやつ下してきた。これは裁判所は、弁護人に不可能を強い、辞任においこみ、被告人を暗から暗にほうむろうとしていることを示している。

第三、弁護人は被告人森の死が右期日指定と無関係とは思えないこと、及び森の死により弁護の方針の変更の可能性のあること、被告人らの意見の調整の必要のあること、森の死により第一回公判の準備どころではない種々のことを調査しなければならない事情のあること、等の理由で昭和四八年一月一六日第一回目の期日の延期(二ケ月)の申入れをしたがこれも同一七日却下された。被告人の死という重大な事情があれば、従来期日の延期は認められたのであるが、裁判所は何がなんでも期日には事件を強硬しようとしてきているのである。

被告人等は、本件事件について決して裁判所がいうようにひきのばそう等とは考えていない。被告人等は、きちんとした形で、自分達の意見を述べ、きちんとした審理を受けることをのぞんでいるのである。

裁判所は、ただ、ただ引きのばしをはかり、被告人らが罪の責任を負う時期をのばそうとしているとの予断をいだき、ただ、ただ早く裁判を済せ被告人等に刑を負わせたいと考えているようであり、検察官に余力な訴因は取下げろ式の発言も打合せの際行つているのであるが、裁判所の被告人等に対するこの考えが予断にみちたものであることは、被告人森の死からも明白であろう。

被告人等が裁判所でなそうとしているのは無内容を引きのばしではない。被告人等は、真実を明らかにしようとしているのである。そしてそれが真に保障される公平な裁判所の審理をのぞんでいるのであり、裁判にかかる時間の長短は被告人等にとつて、それ程問題ではないのである。

本件のような事件であるからこそ、きちんとした裁判が、そして外からもより公平にみえる裁判がなされるべきである。

【参考】 公判期日についての当裁判所の見解

一 事件の併合および弁護人の選任について

(一) 併合の経緯

本件はいわゆる連合赤軍事件として、昭和四七年三月から七月にかけて東京地方裁判所、長野地方裁判所、前橋地方裁判所および横浜地方裁判所に起訴されたものであるがこれを各被告人について述べると

1 被告人坂東国男については、昭和四七年三月二一日および同年五月八日に長野地方裁判所へ、同年六月二日および同月二〇日横浜地方裁判所へ

2 被告人永田洋子については、同年三月六日、同月二一日、同年七月二〇日に前橋地方裁判所へ、同年五月三一日および同年六月二二日東京地方裁判所へ

3 被告人坂口弘については、同年三月二一日および同年五月八日長野地方裁判所へ、同年六月五日および同月二七日東京地方裁判所へ

4 被告人植垣康博については、同年三月九日、同月二一日および同年五月八日長野地方裁判所へ、同年六月二日および同月二〇日横浜地方裁判所へ

(なお、現在では被告人死亡のため刑事訴訟法三三九条一項四号により公訴棄却決定のなされている(元)被告人森恒夫については、同年三月六日、同月二一日および同年五月八日前橋地方裁判所へ、同年六月一日東京地方裁判所へ)

5 被告人吉野雅邦については、同年三月二一日および同年五月八日長野地方裁判所へ、同年五月三一日および同年六月二七日東京地方裁判所へ

それぞれ起訴されたものであつて、右事件および関連する事件を含めて併合の範囲および担当裁判所について慎重な検討が行われ、結局併合の範囲については、検察官、弁護人の意見を聴いたうえ、一応刑事訴訟法九条一項二号、三号の主観的併合の範囲を、被告人坂東、(元)被告人森、被告人永田、同坂口、同植垣とし、同条同項一号の客観的併合の範囲は、すでに述べた各事件にかぎることにし、担当裁判所については、検察官ならびに弁護人の意向および裁判所の受入体制を考慮のうえ、東京地方裁判所がこれら事件を担当することにし、東京地方裁判所に係属する事件については、関連裁判所の協議のうえ、被告人坂口の昭和四七年六月二七日起訴分の配てんを受けた当刑事第七部が、右併合事件の審理を担当することになつた。以上の経過をたどつた末、正式には昭和四七年九月一八日付の検察官からの併合申請にもとづき弁護人の意見を聴いたうえ、同年同月二二日東京地方裁判所に係属する被告人坂口、同永田の事件を刑事訴訟法三一三条一項により併合し、被告人森、同永田の前橋地方裁判所に係属する事件および被告人坂東、同坂口、同植垣の長野地方裁判所に係属する事件を刑事訴訟法八条一項により併合し、(同年同月同日付で長野地方裁判所、前橋地方裁判所において同趣旨の決定がなされた。)また、昭和四七年一〇月七日付の被告人坂東、同植垣の弁護人西垣内堅佑(現在は辞任)および弁護人高橋庸尚の併合申請にもとづき検察官の意見を聴いたうえ、同年一〇月一二日右被告人両名の横浜地方裁判所に係属する事件を刑事訴訟法八条一項により併合し(同年同月同日横浜地方裁判所で同趣旨の決定がなされた。)、さらに同年一〇月一三日付の検察官の併合申請にもとづき弁護人の意見を聴いたうえ被告人森の東京地方裁判所に係属する事件を刑事訴訟法三一三条一項により併合することになつた。

この時点において、(訴因の単一性の問題はさておき)訴因数は、被告人坂東につき五四、同森につき三三、同永田につき三七、同坂口につき五七、同植垣につき三一で延訴因数は二一二におよび、各被告人に共通な訴因で整理するとしても七〇の訴因を数えるぼう大な事件となつた。その後、昭和四八年一二月二五日付で、東京地方裁判所刑事第一〇部で審理することになつていた被告人吉野の事件(訴因数五八)につき、同被告人の弁護人高橋庸尚から併合請求があり、検察官の意見を聴いたうえ、同年同月二八日、右事件を本件に併合する決定をなした。

また、昭和四八年一月六日検察官から被告人森の死亡による分離のうえの公訴棄却決定申立により、同年一月一七日被告人森の事件を本件から分離して、公訴棄却決定をなした。よつて現在訴因数は延二三七となり、各被告人に共通な訴因で整理して六七となつている。

(二) 弁護人の選任について

(1) 被告人坂東、同永田、同坂口、同植垣、(元)被告人森の併合(昭和四七年九月二二日、一〇月二二日、一〇月二三日)前の弁護人の選任状況

右五名の事件の併合前は、角田、高橋、伊藤、小口の各弁護人が主として弁護活動にあたられた。この選任状況の大略を述べると、

イ 被告人坂東については、昭和四七年三月三一日付で、長野地方裁判所に係属する事件につき高橋弁護人が選任され、同年五月横浜地方裁判所に係属する事件についても同弁護人が選任された。その後六月に小口弁護人が選任され、八月には角田弁護護人が長野に係属する事件について選任され、それぞれ弁護活動にあたることになつた。

ロ 被告人永田については、昭和四七年三月前橋に係属する事件について高橋弁護人が選任され、右事件につき同年三月二二日角田弁護人も選任され、東京に係属する事件についても五月に高橋弁護人、六月に角田弁護人がそれぞれ選任され、八月にいたつて伊藤、小口両弁護人も選任され、それぞれ弁護活動にあたられることになつた。

ハ 被告人坂口については、同年四月長野に係属する事件について、伊藤、小口両弁護人が選任され、さらに同年八月、高橋、角田両弁護人がそれぞれ選任され、東京に係属する事件についても同年五、六月に小口、伊藤、高橋の三弁護人が選任されて弁護活動にあたられた。

ニ 被告人植垣については、同年の三月に、現在は辞任している(同年一一月一五日)西垣内弁護人が選任され、同年の八月に高橋弁護人が、同年の九月に小口弁護人がそれぞれ選任されて弁護活動にあたられた。

ホ また(元)被告人森については、同年の三月に前橋に係属する事件について角田、高橋両弁護人が選任され、東京に係属する事件についても五月に高橋弁護人、六月に角田弁護人、八月に伊藤、小口両弁護人が選任されて弁護活動にあたられた。

(2) 併合後の弁護人選任状況

併合後、右角田、高橋、小口、伊藤各弁護人につき、選任の効力の及ばない事件についての弁護人選任届の追完が行われたが、その後同年一二月一日に井上、小林両弁護人が、被告人坂東、同坂口、同植垣および(元)被告人森について弁護人に選任され、同日、伊藤弁護人が被告人坂東に、角田、伊藤両弁護人が被告人植垣につきそれぞれ選任された。そして同年一二月一八日井上、小林両弁護人は被告人永田についても選任され、右両日をもつて角田、高橋、伊藤、小口各弁護人についての要追完事件についてもすべて弁護人選任届が提出されるにいたつた。その後昭和四八年の一月一二日にいたつて更に三上、永野両弁護人が、被告人坂東、永田、坂口、植垣について弁護人に選任された。

(3) 被告人吉野の弁護人選任状況

被告人吉野については、昭和四七年四月に、長野に係属する事件について、伊藤、小口両弁護人が選任され、両弁護人は五月に、東京に係属する事件についても弁護人に選任された。ところが六月二九日にいたつて伊藤弁護人が解任(同日付で辞任)され、また七月にいたつて小口弁護人も解任され、かわつて同年六月に高木、長谷川両弁護人が選選任された。しかしながら同年一二月四日、両弁護人は解任されて、新たに一二月二六日(弁護届の日付は一二月一六日)に高橋弁護人が選任され、同月二二日三上弁護人、昭和四八年一月一二日、伊藤、小口、小林、永野の四弁護人、さらに同月一七日に角田弁護人も選任され、井上弁護人を除き相被告人と同じ七弁護人が弁護活動にあたられることになつた。

二 公判期日の指定について

(一) 第一回公判期日の指定について

以上述べたような、事件の併合、弁護人の選任状況をふまえ、当裁判所は刑事訴訟規則一七八条の一〇により検察官、弁護人を出頭させたうえ、公判期日の指定、その他訴訟進行に関する打合せを行なうこととし、公判期日前の事前準備に入つた。しかしながら、この打合せは、当初から、検察側と弁護側とで、第一回公判期日およびそれ以後の審理計画をめぐつて顕著な対立がみられ容易に打合せが進展しないという状態が生じた。すなわち、まず第一回公判期日指定の問題については、昭和四七年八月三一日の打合せにおいて、すでに本件は同年七月末で起訴が完了し、弁護人の選任状況からみても既に相当程度弁護側に準備が進んでいるであろうと思われたので、裁判長から昭和四七年内に冒頭手続まで終りたい旨の意向の表明があり、これに対し、検察側は「証拠保全の見地から、迦葉山の山岳ベースは国有林の中にあり、現在立入禁止になつているが、人が立ち入つており、営林署等から火災の危険があるので早急に徹去したいとの申し入れがあること、また立証効果の面からも本件のうち山岳ベース殺人事件の発生したのが一月ころであるので、立証初期一、二月ころに検証を願いたい、そのためには昭和四七年一一月を目途に第一回公判期日の指定を希望する」旨の申し入れがあり、一方出頭弁護人(小口、伊藤、高橋三弁護人)は年内には空いた期日がないとの理由で年内の第一回公判期日を受けられるか否かわからない旨の申入れがあり、具体的な第一回公判期日の指定については次回以後の打合せに持ち越されることになつた。その後は昭和四七年九月一九日に行われた打合せは主として併合問題について検討がなされたが、その席上検察官から、再び営林署からの迦葉山の山小屋徹去の要請、さらにあさま山荘の所有者河合楽器株式会社からも同山荘の改築要請があつたこと等から、証拠の滅失、変更を防ぎ、証拠を十分な形で保全するためにも、また犯行時期に合致した検証が効果的であることから早い時期の第一回公判を希望する旨の発言がなされた。そして昭和四七年九月三〇日に行われた打合せにおいては具体的に第一回公判期日の指定の問題について検討がなされることになり、この打合せにおいて検察官側は一一月を目途に第一回公判期日を開くことを要求し、その理由として、迅速な裁判の要請、迦葉山の山小屋とあさま山荘をはじめとする証拠の保全、また効果的検証時期からの逆算、さらにこの打合せ当時において、事件後八ケ月を経過しており、弁護人は被告人との接見等を通じて事件の内容を理解しているはずであることを掲げた。それに対し弁護人は、捜査段階においては接見の制限を受けていたこと、事件が長野、前橋等遠隔地に係属していて、被告人の身柄も遠隔地にあつたため十分接見してないこと、証拠書類等の閲覧もしてないことを理由として検察官の要求する一一月の第一回公判期日指定には反対した。当裁判所としても証拠保全のため、および事件後相当期間が経過していること捜査終了からもすでに三ケ月を経過していること等からなんとか年内に第一回公判期日を開きたいとの希望を持つていたが、刑事訴訟規則一七九条の四により第一回公判期日の指定については被告人、弁護人の準備も十分考慮しなければならないとの配慮から、事件を東京地方裁判所に併合したことによる身柄移送が一〇月上旬に行われ、東京においての接見ができるようになるし、また検察官に併合に併う証拠書類等の移送および東京における開示はいつまでに可能かを問うたところ、既に東京に係属している事件については証拠を開示しており、また長野、前橋に係属している事件についても一〇月二〇日までには全部開示できるとの回答が得られた。そこで弁護人に準備期間としてどの程度の期間を要するかを尋ねたところ、小口弁護人から証拠書類等の閲覧謄写後三ケ月は準備に必要であるとの回答を受けた。当裁判所としては、既に述べた理由から年内に冒頭手続を終了したい意向を有していたが、第二回公判期日以後集中審理を進めるうえにも、事前準備の期間は弁護人の要求を容れるべきであると考え、検察官に早急に証拠を整理し証拠の整理ができ次第順次弁護人の閲覧に供すること、また、謄写についても弁護人の便宜をはかることを要請し、一応検察官が証拠書類等の開示を完了することができると約した一〇月二〇日から三ケ月を経過した昭和四八年一月下旬ころ(一月二二日から二五日までの間)を目途に第一回公判期日を開く旨を告げ、検察官、弁護人の一応の了解を得た。昭和四七年一一月一八日に行われた打合せで小口弁護人等より記録の謄写閲覧が終了したのは一一月一七日であるが、第一回公判期日については、従前の打合せどおり一月下旬で了承する旨の発言があつたので出席弁護人の都合を聞いたうえ、裁判長は昭和四八年一月二四日(水)を第一回公判期日と指定し、告知送達した。その後昭和四七年一一月二一日弁護人五名の都合により昭和四八年一月二三日に期日変更の申立があり、検察官の「しかるべく」の意見を得て、同日付で期日変更し、昭和四八年一月二三日に第一回公判期日を行なうことを決定した。

(二) 第二回公判期日以降の期日指定について

第二回公判期日以降の審理日程についても、すでに述べた打合せの過程を通じて検討してきたものであるが、当初より裁判所、検察官、弁護人に顕著な意見の対立があり、打合せは難航をきわめた。当裁判所の当初の意向は、当裁判所に併合された事件の訴因数が(罪数問題はさておき)七〇に及ぶ(被告人別にすると実にのべ二一二訴因)、その罪名も爆発物取締罰則違反、強盗致傷、強盗殺人と重罪事件が多く、審理にも相当の開廷数が予想され、裁判が長期化すれば証拠物の散逸、証人の記憶の減退、検証すべき場所の変化等有罪無罪を決するうえに、あるいは量刑を決するうえに有力な証拠が失われ、ひいては検察官の立証、被告人、弁護人の反証に重大な支障を来たし、刑事訴訟法の理念である実体真実の発見に多大な障害を及すこと、また長期にわたり有罪、無罪不確定のままでおかれる被告人およびその関係者の心理的苦痛ははかりしれないものがあるであろうこと、また昨今メーデー事件あるいは辰野事件等で裁判の長期化に対する世論の批判が高まつていること等に鑑み、刑事訴訟規則一七九条の二第一項の継続審理の精神を生かし、また刑事訴訟規則一七九条の二第二項の訴訟関係人の協力を期待して、集中審理を進める方針をとつた。しかしながら多面スピード審理のあまり、被告人、弁護人の防禦権、弁護権をそこない、あるいは実体真実発見へ向けての充実した審理をおろそかにすることがあつてはならぬよう配慮し、十分な準備期間を置いてからの第一回公判期日指定や、審理方式の工夫によりこれらの危惧を解決していこうと考えてきた。

しかるに、打合せ期日において検察官の立証計画、立証に要する見込開廷数を問うたところ、検察官の意見は、検察官立証(弁護人立証を除き)だけで最低二〇〇開廷を要しそれ以上の開廷数を要することも、予想されるとのことであり、検察官としては、迅速裁判の要請から週二回の開廷数で検察官立証を二年半ないし三年で終らせたい、そして審理方式としては、全被告人に共通な訴因と全被告人に共通でない訴因があるので、各被告人にとつて審理の進渉にかたよりのないよう共通訴因と個別訴因を併行して進めていくようすなわち共通訴因週一回、個別訴因週一回の割合で審理するのが適当ではないかとの意見が述べられた。

一方弁護人側は昭和四七年八月三一日の打合せ当初より週二回の審理日程には強く反発し月一回の開廷を強く主張し、検察側の審理方式への希望と真正面から対立し平行線を辿つた。弁護人の主張の主たる理由は、昭和四七年一二月一日の打合せにおいて小口弁護人および高橋弁護人の意見に要約されているが、

まず第一点として、検察側の週二回のペースでは、各開廷日の間隔が短く、そのように間隔の短いときには防禦権、弁護権を全うするうえで到底十分な準備を行なうことができず、被告人、弁護人の防禦権、弁護権の侵害になる。

次に第二点として、弁護人にはすでに信頼を受けて受任した事件が多数あり、その事件について弁護活動が全うできないし、また今後新たに事件を受任できないということになると、弁護人の生活権を奪うことになる。(本件では弁護報酬は十分には得られない旨の発言もあつた。)

さらに第三点として、本件は確かに訴因数は七〇あるが社会的事実としては数個のブロックにすぎず、また開示された証拠数、謄写料金からみても他のいわゆる学生事件とさほど差はなく、検察官主張の如き多数の開廷数は要しないと考えられ、他の学生事件と区別する理由にも乏しい。という三点にあつた。(さらにつけ加えれば月一回が日本の裁判の慣例であるとの意見もあつた。)

こうして昭和四七年一一月一八日までの打合せでは第二回以降の各公判期日に関する双方の主張は平行線を辿り、当裁判所としても検察官、弁護人両者の意見調整に苦慮し、検察官に対しては、とにかく最良証拠を厳選して、立証開廷数を減らすことを要求し、他方弁護人に対しては、早急に弁護団の拡充を計つてもらいたい旨及び、たとえば、事件ごとに主任弁護人が交替する等具体的方策を検討して弁護団内部での弁護活動の分担を計つてもらいたい旨の申し入れをなした。しかしながら昭和四七年一一月一五日に西垣内弁護人が病気静養のため辞任され弁護団は四人となり、弁護団の拡充も望めず(その後井上弁護人の内諾を得たとの通知は受けた)また再三の主任弁護人の指定要求にもかかわらず、これもなされないので、結局当裁判所としては、弁護人のすでに予定されている差支日を考慮して、裁判長の職権で(そもそも期日指定権は裁判長の専権事項ではあるのだが)期日指定するもやむなしとの意向をもち、昭和四七年一一月一八日に各弁護人に、差支日記入用紙を交付あるいは送達して、同年一二月一日までに提出願つて期日指定の参考に供せんとした。

同年一二月一日行なわれた打合せにおいて井上弁護人、小林弁護人が新たに選任され、弁護団は六名となり、さらに第二回公判期日以後の審理方針について検討がされ、小口弁護人からは冒頭手続段階では月二回、証拠調段階では月一回を希望するとの意見があり、また角田弁護人から月二回程度なら出頭に努力する旨の意見があつた。またその際口頭で主任弁護人の指定があつたのみで刑事訴訟規則二〇条による正式な主任弁護届は得られず、さらに、前記のとおり、提出を求めた差支日照会書の提出も得られなかつた。(小林、井上両弁護人には提出期日を定めて昭和四七年一二月一日交付)(なお、小林弁護人からは差支日照会書の提出を受けた。)

当裁判所は、結局弁護人からの差支日照会書の提出は一通しか得られなかつたため、やむなく、これまでの双方の主張を考慮して期日指定を行なう旨を全弁護人に告げた上、裁判長が一応期日を指定し、なお、弁護人には既に他の事件で公判期日の指定を受けていること等で差支日があるなら刑事訴訟規則一七九条の四、一項、一七九条の五、一項により直ちに、かつ、具体的事由および疎明資料を付して変更願請求をすれば、期日変更をなしうる余地を残し、昭和四七年一二月四日付で週二回と週一回を交互に組み合せた第二回から第一〇〇回までの公判期日の指定を行つた。(もとより当裁判所としてはこれのみで結審に至るであろうとは考えていない。)そして右公判期日指定の通知送達に際し、「公判期日について」と題する書面により、規則一七九条の四、一項の手続をなすべく全弁護人に促した。

当裁判長が右のような週二回、週一回の交互組合せによる期日指定をした理由は次のとおりである。

すなわち、まず第一に弁護人は検察官の立証に要する開廷数は過多にすぎるというが、刑事訴訟法上立証責任が検察官に負わされている以上、事前準備の段階では立証責任を負う検察官の申立てる立証見込み開廷数は一応尊重しなければならず、必要ないと思われる証拠は適宜立証段階に入つて制限していく以外には方法がなく、一応検察官立証二〇〇開廷を基準に期日指定、審理方針を立てるべきものと考えられた。すると弁護側の主張する月一開廷というペースでは(準備手続を活用することにより、ある程度短縮することができるにせよ)検察官立証だけで一六年から一七年かかり、予想される更新手続等も考え合わせると長期裁判にならざるを得ないが、かかる事態は到底当裁判所として認められないこと、

一方検察官の週二回の公判期日については、検察官が個別訴因の方が共通訴因よりも開廷数が多いと述べていることからすると、共通訴因については二週間に一回、個別訴因については週一回程度が個別訴因と共通訴因とのバランスからみても適当ではないかと考えたわけである。

第二に弁護権、防禦権侵害の点であるが、弁護人は各公判期日間の期間短く十分な準備ができないと主張するが、審理方式の配慮により、解決が可能であると考えた。

たとえばほんの一例ではあるが、共通訴因を隔週の木曜日とし、被告人永田、坂口、吉野に対する真岡強盗、早岐、向山殺害害事件、被告人坂東、植垣に対する銀行強盗等の事件、被告人坂東、坂口、吉野に対するあさま山荘等の事件、被告人植垣に対する軽井沢事件および被告人永田に対する公務執行防害等の事件(なお、本件指定当時においては(元)被告人森の東京に係属する事件)を順次毎週火曜日に審理するとすれば、共通訴因については二週間の準備期間、個別訴因については一ケ月の準備期間が見込まれるわけであつて、これは「通常の学生事件の審理日程」と何ら変りないばかりか、弁護人らのいう「日本の裁判の慣例」(そんなものがあるとすればの話だが)にも則つていることになる。当裁判所としては二週間あるいは一ケ月間の公判期日の間隔は弁護人の準備として十分であると考える。もし反対尋問等の関係、あるいは証拠開示の関係でどうしても準備が間に合わぬならその時点において改めて考え直す余地もあろう。

また、裁判所が当初より示しているとおり、弁護団の拡充および事件ごとに主任弁護人の交替するという方法の採用により、弁護活動の分担等をはかれば、十分弁護権の行使が可能ではないだろうか。

次に弁護人の生活権の問題であるが、まず各弁護人はいずれも私選弁護人であり、当裁判所としては依頼者と弁護人との報酬関係については一切関与すべきものでないと考えている。

また弁護団の拡充あるいは主任弁護人の指定方法等考慮して弁護団内部で弁護活動の分担もはかり、個々の弁護人の負担を軽減することも可能であろう。

また先に一例として示した審理方式によれば、実質的には月三回ないしは月四回の出頭でまかなえることも考えられよう。

さらに弁護人は他に受任している事件の弁護権を云々するが、それではこの事件が二〇年も三〇年もかかつてよいであろうか。この事件の審理の促進についても考えていただきたいと当裁判所は切望する。

以上により週二回と週一回の交互組み合せを方針としたものである。

次に一〇〇回指定自体は別にさほどの配慮のあるものではなく、(たとえば月一回の開廷で一〇〇回指定したのであれば弁護人としては差支えはなかつたであろう。)裁判所における使用法廷等関係で他所と重ならぬような配慮、あるいは裁判所全体の審理計画さらにはまた弁護人間の事務の分担ないし他の受任事件の期日を受けるにあたつての便宜を考えあわせて、とりあえず一〇〇回分の期日を定めたものに過ぎない。

三 弁護人・被告人からの期日の変更、取消請求について

裁判長が昭和四七年一二月四日付で第一〇〇回公判までの期日指定を行つた後、弁護人・被告人から計七通の公判期日の変更に関する請求がなされた(昭和四八年一月七日付弁護人小口、同伊藤から提出された「申入書」は裁判所に対して職権の発動を求めるものであるので、変更請求としては扱わない)。これは、第二回公判期日以降第一〇〇回公判期日までの指定の変更を請求するものと被告人森の死亡あるいは被告人吉野の併合による第一回公判期日の変更を請求するものとに分けることができるが、前者(第二回以降)についての変更を求める理由は、いずれもすでに事前打合せ期日において弁護人から述べられたものであり、これについては、裁判所もすでに述べたとおり、弁護側の意見も熟慮のうえ指定に踏み切つたものであること、および刑事訴訟規則一七九条の四、一定に定める変更を必要とすべき具体的事由、それが継続する見込み期間、疎明資料の提出の要件を満たしていなかつたこと等から刑事訴訟規則一七九条の四、二項により請求を却下せざるをえず、また後者(第一回の変更)についても右要件の不備および期日を変更しなければならぬやむを得ない事由にあたらないものとの判断から請求を却下したものである。

これを各請求について述べていくと

(一) 昭和四七年一二月一五日付弁護人伊藤まゆからの第一〇〇回公判期日指定(同人の請求書によると一二月四日付の指定に対する申立であるところから第二回以降の公判期日指定に対するものと思われる。)の変更(申立は「取消」となつている)申請について右弁護人からの申請の理由は、

(1) 検察官立証には、検察官の主張するが如き多数開廷は要しないこと

(2) 指定された公判ペースでは、被告人、弁護人の防禦権を実質的に保障することはできないこと

(3) 弁護人の手持ちの他事件の依頼者の人権や利益が無視され、また弁護人の生活権も損われること

(4) 既に公判期日として指定を受けた差支日がある。

ということであるが、(検察官の意見を徴したところ却下相当であつた。)右(1)(2)(3)については、すでに述べた如く打合せ期日において弁護人から主張され、裁判長もその意見を聞いたうえ、すでに述べたとおりの理由で期日を指定したものであり、また、右理由は期日の変更請求としては抽象的であつて、具体的事由とはいえず、また(4)の理由についても、すでに昭和四七年一一月一八日付で、提出期限を同年一二月一日までと定めて差支日照会書を同弁護人に交付したにもかかわらず、提出がなされなかつたこと、右差支日についても疎明資料の提出がなんらなされていないこと、また本件には同弁護人のほか、(当時)五名の弁護人が選任されていることからしても、そのうちの一弁護人の差支えのみでは直ちに公判期日の変更事由にはあたらないことを考え、同年一二月二三日付で同弁護人の請求を却下した。

(二) 昭和四七年一和二月二七日付弁護人高橋庸尚からの第一〇〇回公判期日(同請求も同年一二月四日付指定に対するものであるので第二回以降の公判期日指定に対するものと思われる)申請について

右申請の理由の要旨は、先に述べた弁護人伊藤まゆからの申請理由(1)(2)(3)と同趣旨であり、(検察官の意見を求めたところ却下相当であつた)、右伊藤弁護人の申請に対する理由と同様の理由で、昭和四八年一月一〇日付で却下決定をした。

(三) 昭和四八年一月四日付被告人永田洋子からの第一回公判と、第二回公判以降の期日指定の変更請求について

右被告人からの申請は統一公判および拘置所内での被告人会議開催の申請とともになされたものであるが、(検察官の意見は却下相当)何ら公判期日の変更を必要とする具体的事由が示されていないから、このような申請を到底認めることができず、右申請も同年一月一〇日付で却下決定をなした。

(四) 昭和四八年一月七日付弁護人小口恭道、同伊藤まゆの第二回以降の公判期日の職権による変更の申入れについて右申立理由の要旨は、昭和四七年一二月一五日付の変更申請と同様の理由であるので、同弁護人の申請に対すると同様の理由から、あえて職権を発動すべき場合とは認められないので、職権は発動していない。

(五) 昭和四八年一月八日付被告人吉野雅邦の第一回公判期日および第二回公判期日以降の変更申請について右被告人からの申請の理由は、第一回公判期日延期については、同被告人が昭和四七年一二月二八日に当裁判所に併合されたことにより、弁護人および相被告人との意見の疎通、訴訟準備不十分であつて、これらをする必要があることをあげ、第二回以降の期日の変更については防禦権行使のための準備ができないことを理由としている。

まず、第一回公判期日の変更を必要とする事由についてであるが、被告人吉野の併合は、昭和四七年一二月二五日付の同被告人の弁護人高橋庸尚の申立にもとづくものであり、同弁護人は同年一二月一六日、弁護人選任届書を被告人と連署のうえ作成している。(当庁受理同年一二月二六日)従つて右併合請求にいたるまでにおいて、同弁護人との間で相当程度の意思の疎通がはかられていたことが推測されたうえ、同弁護人はすでに本件相被告人の弁護人として鋭意活躍されていたわけであつて、同弁護人を通じての相被告人との意思の疎通を計ることができたはずである。また、同弁護人は、相被告人の事件についての第一回公判期日が、すでに定められていることは熟知していたうえ、併合の請求に及んだものと考えられ、当裁判所も相被告人の事件について第一回公判期日の進行および被告人や弁護人の準備(なお、被告人吉野の事件は相被告人の事件とすべて関連しており、弁護人の同被告人固有の訴訟準備にはさほど時間を要しないものと考えられた。)に支障のないよう早い時期に併合決定をなすべきであると考え、二七日間余裕をおいて同年一二月二八日併合決定したものであつて、被告人の申立は公判期日変更のやむをえない事由にはあたらないものと判断したものである。

第二回以降の公判期日の変更申請については、すでに述べたとおりである。(なお付言すれば、同被告人は本件への併合前、東京地方裁判所刑事一〇部で審理を受けることになつており、高木一、長谷川成二弁護人を選任して、訴訟準備にあたり、昭和四七年一一月二四日を第一回公判期日とし、約週一回の公判日程で審理を予定されていたものである。)そこで昭和四八年一月一二日同被告人からの請求を却下した。

(六) 昭和四八年一月一三日付弁護人井上正治からの第二回以降の公判期日変更申請および第一回公判期日変更申請について

第二回以降の公判期日変更の理由は、第二回以降の公判期日指定が弁護権を侵害するものであり、公判期日指定権の濫用であるというにあるが、当裁判所が右期日指定が弁護権侵害にあたらないと考えることすでに述べたとおりである。

次に、第一回公判期日の変更を必要とする事由として、被告人森恒夫の死亡(昭和四八年一月一日)原因を調査する必要のあること、右調査が相被告人の実体真実の発見および弁護人の弁護権行使のうえで重要であり、右調査には二ケ月を要するということであつた。しかしながら被告人森の死亡と第一回公判期日までの間には相当期間があることや、同人の死亡原因の究明が何故に他被告人の実体真実発見や弁護権行使に重要な意味をもつのか、他の被告人の公判審理といかにかかわりあうのか、その関連性につき当裁判所は理解に苦しむところであり、それについての疎明資料にも欠けるところから、右事由もやむをえない事由にはあたらないと解したものである。

(七) 昭和四八年一月一六日付弁護人三上宏明、同小口恭道、同伊藤まゆからの第一回公判期日変更申請について

右申立は、

『一、裁判で問われているのは何か。

本件裁判で問われているのは、究極的には「裁き」の名の下に行なわれた処断の意味を解明することである。

被告らが、いかなる状況の下でいかなる判断によつて、いかなる意味を有する行為として、行動したのかを客観的にかつ慎重に検討することが現在本件裁判に要請されているのである。

我々弁護人は、本件公判が、被告らに対する国家権力の単なる憎悪に基づいた復讐の場であつてはならないと考えている。

二、一〇〇回期日指定の不当性

あなた方裁判所は一月二三日を第一回として、まつたく不当にも弁護人および被告人の防禦権(およびそれに必要な準備)を奪い去るという形で一〇〇回の期日指定をなした。

これでは弁護人は防禦のための準備もできず、また被告も自らの行為の意味を明らかにするための防禦活動もまつたく不可能である。

我々はあなた方三裁判官に問う。

あなた方は被告らを木偶人形として法廷のお飾り物としか考えていないのではないか。

あなた方は予断と偏見に満ちた憎悪感情のおもむくまま、弁護権を奪つたまま、裁判において根本的に問われている客観的事実の解明および歴史的評価に耐えうる本件事件の意味の解明という作業を放棄し、あなた方の主観的な憎悪の言葉で判決を書き綴ろうというのですか。

三、森君の死

森君の死は我々弁護人にとつてはまことに重大な事態であると考えている。

森君の死そのものが重大な事態であるばかりでなく、森君を死に追いやつた事態もまた重大である。

我々弁護人は、森君の自殺があなた方の被告人無視の一〇〇回期日指定と無縁である、とは到底考え得ない。

森君はこの間獄中において自らの自己批判と総括を通して自らの誤りを全人民に明らかにすることが現在における主要な任務であると自覚し、公判についてもそのような場として位置付け取組んでいたのである。

然るに、あなた方は森君らに対し法廷で木偶人形でいろという。あなた方の主観的憎悪の標的になつていろという。あなた方の一〇〇回期日指定の意味するものはそれ以上でもなければそれ以下でもない。

森君はそのような裁判を拒否するために自ら決着をつけたのである、との懸念を抱かざるをえない。

我々の疑念が単なる疑念にとどまるものであればそれに越したことはない。

現在我々弁護人の緊要な課題は森君の死の真相が奈辺にあるかを解明することであり、その真相をふまえて、森君が欠落した現時点での他の被告の公判方針を再検討することであると思料する。

四、吉野被告の併合

昨年末吉野被告の併合が決定されたが、併合に伴う準備が未だ不十分である。

五、結論

よつて弁護人らは、森君の死の原因の究明、究明された事実をふまえての他の被告の公判に対する方針の再検討、吉野被告の公判準備のため第一回公判を三月二二日まで延期するよう申立てる』

というものであつたが、まず、(元)被告人森の死亡原因が公判期日変更のやむを得ぬ事由にあたらぬことは、井上弁護人の昭和四八年一月一三日付の変更申請に対する理由で述べたとおりであり、また被告人吉野の併合が公判期日変更のやむを得ぬ事由にあたらぬことは、同被告人からの昭和四八年一月八日付の変更申請に対する理由で述べたとおりである。そこで、昭和四八年一月一七日右申請を却下した。

なお右請求書の措辞が頗る不穏当であることは甚だ残念である。

(八) 昭和四八年一月一九日付、弁護人小口恭道、同伊藤まゆからの第一回公判期日変更申請について

右変更申請の変更を必要とする事由は、被告人森の死亡という重大な事情変更があつたこと、というのであるが、これが期日を変更すべきやむを得ぬ事由にあたらないことはすでに述べたとおりであるので、同年一月二二日却下決定したものである。

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